戻る

 
 
             海皇鬼ジム旋風記外伝
 
        「グローブをもった渡り鳥・鏡の国の試合」
 
どこかの地方都市のガード下の屋台のラーメン屋。夕方はしとしと雨だった。
日本全国を武者修行中の渡り鳥トレーナーのジョーと、その教え子の七瀬流子が今日の修行を終え、狭い屋台で肩寄せあって熱いラーメンをすすっていた。どこか売り出し中の新人歌手とそのマネージャーのような気配もある。が、ふたりは歴としたボクシングのトレーナーとボクサーである。さきほども通りすぐ横のボクシングジムの看板選手をひねってきたところであった。べつに看板をいただいてきたわけではないが。
 
「雨、なかなか止みませんね」
顔にばんそうこを二枚ほど貼ってあるが、明るい表情の七瀬流子。もとは単なる田舎娘だったのが、すっかり流浪の寅さん生活が板についてしまった。
「客もほかに来そうもないしなあ・・・・おやじさん、もう少し雨宿りさせてもらってもいいかい。なるべくこの子の体を冷えさせたくないんだ」
「べつにかまやしねいよ。」ガラガラ声でおやじは答えた。
「ありがとう。あと一時間もすれば止むな・・・・」渡り鳥は天気に詳しい。
 
雨の音にラジオの音がかぶさる。野球の放送だったか・・・・そちらは天気らしい。
てもちぶさたの空気であった。このまま一時間ほどずーっと雨音と野球を聞いているのも良いかも知れない。試合は、実力伯仲の投手戦になってきたようだ。
 
「ふーん・・・・実力伯仲か・・・・・」
渡り鳥はおしゃべりが好きである。なんとなく思い出した昔話を語りだした。
それは、雨宿りの返礼のつもりだったのかもしれない。
 
「昔、とある大会のレフェリーを頼まれた時のことサ。あ、ボクシングのだよ。
その地方のジム同士の親交を深めるとかで行われた、プロもアマも入り交じった・・・まあ、プロのランキング試合とは関係ない、いってみれば町内運動会みたいな大会だった。
そこで、”実力伯仲”の試合が行われたんだ。あれほど完全なものはなかったな・・・・・まるで、鏡のような試合だった」
そう前置きをして、渡り鳥は過去を見る遠い目をした。
 
「選手紹介があってその選手がリングにむかって歩いてくる途中からもう、観客はざわめいていたもんだ。私もなにせ前日に飛び込みでそのレフェリ−を引き受けたもんでプロ同士のメインイベント以外のチェックは怠っていた。まあ、素人なら怪我さえさせなきゃよかろうとね。どちらも写真写りが悪かったこともあるんだが・・・・」
 
「もったいつけてしまったが、その二人の女性選手は・・・・”そっくり”だったんだよ。
一卵性の双子・・・でも、これほどには似ないだろうと、薄気味悪いほど同じ顔だ。
グラブの色や服装で見分けがつくことはつくが、あまりに顔が同一人物なんで分身の術でも使って双方向から歩いているんじゃないかとバカなことを一瞬、考えたほどだ」
 
じゃあ、ホントに一卵性の双子じゃないんですか?と七瀬流子は問うた。
 
「いや、名字は違うが名前が同じなんだ。なにより、当人同士が驚いていたからなあ。こういう雑多な大会のことで試合前の計量やらで顔を見せることもない。どちらもアマチュアでこんな試合らしい試合に出たのも初めてという話だった。ま、これは後で聞いた話なんだがね」
 
世の中には自分と同じ顔の人間が三人はいるってえ話だからなあ、と客商売なんかやっているとそれとなく覚えもあるような屋台のおやじ。
 
「まあ、そこまでなら、”奇跡体験アンビリバボー”にでも投稿して済む話なんだが。
・・・ついでにいうなら、どちらも・・って当たり前だが、可愛い娘だったな。うむ。
そして、観客のざわめきが止まぬままに試合開始だ。・・・・ここから先はまあ、話じゃ分かりにくいだろうなあ、ビデオカメラでもありゃあ納得できるんだろうが、ないんだからしょうがない。まあ、驚いたな・・・・ほんとうに示し合わせてやってるんじゃなかろうかと思うくらい、そっくり同じに動くんだ。本人たちは動揺を残しつつも、緊張と興奮を高めつつ真剣にやってる・・・・のは見て分かるんだが、冗談のように同時のタイミングで殴り合うんだ。体格もほぼ同じだから、いつもダブルカウンター気味になる。まるでサーカスでも見てるみたいだったな」
 
いくらなんでもそれはないでしょ、ホラだわ、と疑わしい目でみる七瀬流子。
 
将棋でいう千日手のようなことになるのかい?と人生では信じられないことがたまに起きることを知っている屋台のおやじが言う。
 
「判定もそっくり同じ点がつくしねえ。観客は面白がって首をかしげるなりしていければいいけれど、こっちはそうもいかないからなあ。他の審判は判定を放棄してたしな。
このままいけば、引き分けってことになるんだろう、と誰しもそう思ったろうが、レフェリーは、少なくとも俺はボクシングは白黒つけるもんだと考えてるからね、迷ったよ。」
 
この話は、ホラなのかもしれないけど、もしかして勝敗というものについてジョーさんなりの哲学を語ろうとしているのでは・・・・と思い直し、姿勢を正す七瀬流子。
 
「・・・・あのな、流子、この話ホラだと思ってるだろう。本当にあった話なんだぞ。
そういえば、あの二人の名前は・・・・なんていったかな・・・・忘れてしまったな。
とにかく、一ラウンド終わってもセコンドも面食らってるだけでろくな指示も出やしない。
よく、自分との戦いがどうしたこうした、という話があるが、本当に生身で自分自身とやり合ったのはあの二人くらいなんじゃないかな。キャリアも全く同じ、同じ年同じ日に始めたって話だったし、とにかく勝負がつかない。普通は逃げたくなるぞ。実力が同じなら、あとは精神力の勝負になるわけだが、こちらもだいたい同じくらいだった。あとは応援の力が差を分けると思ったが、これも観客をほぼ正確に二分してなあ。この奇妙な勝負は大沸きに沸いたんだ。メインイベントより沸いたな。完全に”実力伯仲”した試合なんて見られるもんじゃないからな。まるで鏡の国の試合だよ・・・・・・ん?待てよ」
 
どうしたんです?ジョーさん。七瀬流子が問う。
 
「思い出した、思い出したよ。名前だ。両方とも、”ありす”というんだ。漢字は違うけどな。まあ、便宜上、ありす、とアリス、にでもしとこう。名字が鏡野、と映原といったっけな。いやー、まだぼけていないな。さて、二人の試合は第三ラウンドに突入した。
両セコンドも応援の声に目覚めたかようやく働きだして、何やら作戦を考えたようだった。選手二人の実力がマンガのように同じならば、あとはセコンドの力量が勝負を決めるのは分かり切ったことだ。ありすのほうのセコンドはまだ若く、アリスのほうのセコンドは元年季が入っていたかな。」
 
で、どうなったんです?興味しんしんで先を促す七瀬流子。
 
「だが、途中で思わぬ邪魔が入ったんだなあ。なんと、三人目が現れたんだよ。
その子もありす、といった。会場を走り抜けてきた、と思ったらいきなりリングサイドからリングにあがりこもうとしたんだ。興奮してトチ狂った観客かと思ったがまたしても同じだ。ただ、ボクサーじゃなかったが。リングの上の二人と同じ顔。そして、”姉妹でなにやってるのよ!!すぐにやめて、やめなさい!”と来たもんだ。」
 
はあ?!なんですか、そりゃあ。急転直下の展開に目をむく七瀬流子。
 
「レフェリーというより大岡越前になった気分だったよ。試合はもちろん一時中止。
会場は混乱を極めた。なにせ、”奇跡体験”から”バラ色の珍生”だ。三人のありすは、生き別れの一卵性の三つ子だったんだなあ、これが。」
 
こりゃあ、完全にホラだろ・・・・と顔を見合わせる七瀬流子とおやじ。
 
「運命の引き合わせで、ふたりがこの会場で出会い、最後の事情を知って今まで二人の姉妹を捜していたありすが、鏡野の方の居所を掴んで一刻も早くと会いにいってみればこの有様。興奮気味の乱入の彼女をなだめながら話を聞くに、そんな話だった。”こんな殴り合い、やめさせてください”と三人目は言うわけだが、当の二人は”最後までやる”と言ってきかない。まあ、試合と言うより初の姉妹喧嘩になってしまったわけだが、好戦的というよりは混乱と興奮が精神をアッパーにさせて体を動かす方に動かす方に、精神と脳を使わない方にさせていたみたいだったな。没収試合にする手もむろん、あったんだが当の本人たちがやるといってるのに中止させる法もない。リングに上がった以上、白黒つけるまでやるべきだってえ考えと、ここまでくれば神様の成り行きまかせだってえ思いが・・・・早い話が俺もごったまぜになってたんだな。ダブルパンチだったからなー。
とにかく急遽雇われとはいえ、主審は俺だから試合続行の判断を下した。」
 
怒濤の展開で試合は中止かと思えば、最後までやったらしい。
七瀬流子は少し安心した。
 
「”・・・・・恨みますわ”と三人目のありすの視線が痛かったがねえ。
それからなぜか、携帯電話で救急車を呼んでいた。大げさな、と思ったがそりゃ大げさでもなんでもなく、後で必要な措置だったんだ。試合再開ののち、とんでもないことが起こった。」
 
突如、ジョーの声がおどろおどろしいものにかわったのでゴクッと喉を鳴らす七瀬流子。
 
「アリスの方は年季セコンドに作戦を与えられていた。それは、ロープ際防御作戦。
打ち合いでは無駄にスタミナの削り合いになるだけなら、じっと我慢して相手が疲れたところで反撃した方が多少はマシだろう、という話だ。お互い素人だし、こういう異常な状況じゃあなかなかの作戦だったと思う。さて、それは功を奏したね。ありすの方は最初は景気良く打っていたが、それも無意識に例の完全カウンターを恐れて腰がひけていたからアリスにさほどのダメージを与えなかった。そして、なけなしのスタミナも使い果たして、大振りのパンチが外れて大きく体勢を崩したその、瞬間のこと。アリスの青いグローブが見事にありすの顔面にクリーンヒットした。体重ものったKOものの一撃だったんだが・・・・結果はふたりがダウンした」
 
やっぱり、隙をついても自然にカウンターが出るんですか?と、七瀬流子が問う。
  え


「・・・いや、そうじゃない。アリスの一撃がありすだけを打ったのにもかかわらず、両者共にふっとんだ。打たれていないアリスまで。いっとくが見間違いはない。
一瞬、耳の奥がジン、と響いた。なにか分からないが、両者の間にパンチ力以外の外部の力が働いたような・・・凄まじい反動だったな。とにかく、二人ともこれでノビてしまってな、ダブルノックダウンだ。意識が戻らないんで三人目の呼んだ救急車で運ばれていったよ」
 
双子や三つ子には不思議な話があるからねえ、とおやじが言った。
 
「コルシカの兄弟って知っているか?双子の兄弟の話なんだが、一方が傷つけば、もう一方もどんなに離れていても、その箇所に蚯蚓腫れが浮き出して苦しみ出すってえ話で、人間の肉体には、不思議な結びつきがある・・・らしい。それが自分たち同士で殴り合って、片方が片方をノックアウトしようとしたから、強烈な反発力が磁石みたいに働いたんじゃないか・・・、と考えたりもしたんだが、本当のところは分からない。まあ、あの二人、もう二度とボクシングなんかやらないらしいから、あのタネも仕掛けもなかった、”完全に実力伯仲”の試合はもう見られないわけだ。」
 
そう締めて、渡り鳥のジョーはコップの水を飲んだ。見れば雨も止んでいた。