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(前編)

 弓長司は机に座り、一枚の紙を目にしていた。その白い紙切れには聖華女子学院ボクシング部学内代表決定戦トーナメント表というタイトルが書かれてある。
司は西野亜美対弓長麻里子という文字を見て、僅かなため息をついた。よりによって一回戦の相手が彼女とは麻里子も運が悪い。ミニフライ級は今年はレベルが低いからもしかしたら麻里子も一回戦くらいは勝てるのじゃないのかと踏んでいたのだが。しかし、こればかりはなぁ・・・
とんとん、と扉が二度ノックされた。司が返事すると妹の麻里子が部屋の中に入ってきた。
「お兄ちゃん、ちょっといいかなぁ?」
 麻里子は少し体をもじもじさせながら、そう言った。
「どうしたんだ?」
「アッパーのモーションちょっと見て欲しいんだけど」
 「それはダメだって何度も言っているだろ」
 「何でなの?」
 「麻里子だけを特別扱いする訳にはいかないんだよ。分かるだろ」
 麻里子は寂しげな表情を見せた。
 「わかんないよ。別にちょっとくらいいいじゃない、麻里子の練習に付き合ってくれても。ねぇ」
「ダメなものはダメだ!」
口調が少し厳しくなっていた。
 麻里子の顔色がみるみる赤くなっていった。
「お兄ちゃんの意地悪っ!」
 麻里子の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。そして、麻里子は速い足取りで部屋を出ていった。
バタン!と大きな音を立てて、ドアが閉められた。
麻里子が練習に付き合ってと頼みに来たのは久しぶりのことだなと司は思った。前に来たのは去年の十月だから八ヶ月ぶりになる。一年と半年以上前は麻里子の練習をよく見ていた。しかし、麻里子が聖華女学院に入学し、ボクシング部に入り、コーチと部員の関係になってからは家で教えることは止め、麻里子が頼みに来ても断ることにした。
今回も断られることは麻里子自身も分かっていたはずだ。それでも頼みに来たのはやはり学内代表決定戦で今年こそはどうしても勝ちたいと思っているからなんだろう。
そこまで分かってやれながら何一つしてやれない自分に司は苛立ちを感じた。


学内代表決定戦の日がやって来た。放課後を迎え、麻里子と京香は更衣室へと向かった。
 「麻里子、弓長コーチに何かアドバイスとかもらえた?」
 京香が聞いてきた。麻里子はしょんぼりとした表情を作り、首を横に振った。
 「全然。駄目だの一店張りなんだもん」
「厳しい人だもんね、弓長コーチ。じゃあどうするの?今日の亜美との試合」
「作戦なんて何もないよ。とにかくやれるだけやってみるしか・・」
麻里子の喋りは歯切れが悪い。
今年こそは学内代表の座を絶対に勝ち取りたいという思いを麻里子は持っていた。兄のいるボクシング部に入部した麻里子だったが、部活は麻里子にとって辛いことも多かった。
去年の学内代表決定戦で麻里子は一回戦で同じ一年生相手にたった1分でKO負けされてしまった(しかも失神KO)。麻里子は司の妹だというのにボクシングの実力がからっきしだったことで部員達に冷ややかな視線を向けられた。
さらに困ったことが問題があった。司は整った顔立ちをしていたために部員達の間では司に好意を寄せているものが多かった。そのため司の妹であるということで麻里子のことをやっかむものも少なからずいた。その中の一人が今日対戦する相手である亜美であった。亜美は麻里子とスパーリングする時はいつも目の色を変えて、パンチを打っていき、徹底的に麻里子を痛めつけていた。だから、亜美との試合だけは絶対に負けるわけにはいかなかった。


麻里子はリングに上がった。レフェリーの指示に従い、麻里子はリングの中央へと向かった。目の前に立っている亜美はショートカットであどけない顔の麻里子と同じく髪をショートにしていたが、目のラインは切れ長で、口元は引き締まっており、やや表情が厳しめの美人だ。亜美はその綺麗な顔に似合わず強烈なパンチの持ち主で接近戦を得意としていた。そして、麻里子もインファイターであった。打ち合いを制することがこの試合をものに出来るということは麻里子も充分承知していた。
亜美は麻里子の顔を冷たい視線で見つめていた。麻里子もあどけない顔を引き締め、亜美の顔をぎらりと睨め付ける。
二人は自軍のコーナーへと戻っていった。
「ガード下げちゃ絶対に駄目だよ」
セコンドの京香が麻里子の口にマウスピースを突っ込みながらアドバイスを送った。
「うん」
麻里子はマウスピースを口に加えると首を縦に振って返事した。
カーン
ゴングが鳴り、試合が開始された。麻里子は直進して、亜美に向かって行った。亜美に接近した麻里子は左ストレートを繰り出した。亜美は頭を左に動かして麻里子のパンチを避ける。麻里子は構わずに連続してパンチを放っていったが、亜美は麻里子のパンチを次々とかわし続ける。
こんなに接近しているのにどうしてパンチが当たらないの!
亜美の驚異的なディフェンステクニックに麻里子は焦りを感じずにはいられなかった。
麻里子は左フックを放った。しかし、亜美は右腕で麻里子のパンチをブロックした。麻里子はすぐに右フックを放ったが、亜美はこれも左腕でブロックした。
ズドォッ!!
亜美の右ストレートが麻里子の顔面を打ち抜いた。麻里子の頭が右を向く。麻里子は右ストレートで反撃に出るが、亜美はこれもブロックし、がら空きの麻里子の顔面に右フック、左フックを連続して当てた。
麻里子はパンチを放ち続けるが、亜美にはかすりもしない。逆に亜美は強烈なパンチを麻里子の体に的確にヒットさせていった。
グボォッ!!
強烈な打撃音は亜美の右ストレートだった。麻里子の顔が歪み、口から唾液が吹き出た。亜美のパンチが顔面にめりこんでいる麻里子は顔が変形しながら、その場に立ち尽くす。
そして、亜美のラッシュが開始された。
グボォッ!ボゴォッ!ドゴォッ!グシャッ!
棒立ちの麻里子に亜美のパンチがボコスカと入り続けた。亜美が放つパンチの雨で麻里子の頭は右に左に吹き飛ばされ、そして上へ突き上げられる。
ズドォォッ!!
亜美の右ストレートが麻里子の顔面にぶち込まれ、麻里子の体を吹き飛ばした。麻里子の背中がロープに当たった。麻里子は視線を前に戻すと亜美がダッシュして、距離を詰めてきていた。
これ以上パンチを食らったらやばいよ!
麻里子は亜美の体に抱きつきにいった。
しかし、麻里子の行動を読んでいた亜美のショートアッパーがカウンターで麻里子の顔面に突き刺さった。
グワシャァッ!!
「ぶへぇっ」
麻里子の口から白いマウスピースが宙へ飛んでいった。麻里子の体がまたも後ろへと吹き飛び、ロープに当たった反動で前へ崩れ落ちた。
亜美がコーナーへと戻っていき、レフェリーがカウントを取り始めた。麻里子は懸命に立ちあがってきた。カウントが8で止まる。
レフェリーが試合を再開させたところで第1R終了のゴングが鳴った。麻里子はふらふらした足取りで青コーナーへ戻って行った。
「麻里子、大丈夫!」
京香は少し慌てた声で麻里子を迎えた。
「ンフゥーンフゥー」
麻里子の顔から鼻血が流れていて、呼吸を苦しそうにしていることに京香は気がついた。京香は慌てて麻里子の顔をタオルで拭いた。
「まだまだいけるよ。でも、パンチが全然当たらない・・・・」
麻里子の声は沈んでいた。
この日のためにあんなにハードな練習してきたのに・・・
第2Rが始まった。
麻里子は椅子から立ちあがり、重い足取りでコーナーを出た。
どうしよう・・何をやっても通用しないよ・・
あれこれ考えている内に亜美がすぐ側まで近づいてきていた。
麻里子は一歩後ろへ下がった。無意識のうちに体が引いていた。じわじわと接近する亜美に対し、麻里子はじりじりと後ろへ下がる。だが、背中に何かが当たった。ロープだ。
これ以上は下がれない。どうしよう・・
亜美の右肩が動いた。
麻里子の顔が恐怖で引きつった。おどおどした表情を見せる。体が無意識に丸まり、亀のように固まる。
亜美の矢のようなストレートが麻里子の顔面に突き刺さった。そして、またも亜美のラッシュが始まった。亜美が放つパンチの連打を麻里子はサンドバッグとなって受け続ける。
うう・・・手を出さなきゃ!
麻里子が苦し紛れに放ったパンチは偶然にも亜美の顔面を捕らえた。
やった!
麻里子が顔をほころばせた。亜美の顔から一本の鼻血が流れた。亜美の表情が固まる。
そのすきに麻里子は左ストレートを亜美の顔面にぶち込んだ。
よし、この調子だ。いけるよ、いける。
間髪入れずに麻里子は右ストレートを繰り出した。
だが、麻里子のパンチは空を切った。代わりに亜美のパンチが麻里子の顔面にめり込んでいった。
グボォォッ!!
麻里子の膝ががくっと揺れた。だが、麻里子は両足でふんばって倒れるのを懸命にこらえる。
亜美のパンチが襲ってきていた。麻里子はこのパンチをかわせずに頭を後ろに吹き飛ばされる。亜美のパンチが次々と麻里子の顔面を襲ってくる。
ズドォッ!!バゴォッ!!ドゴォッ!!
麻里子はまたも亜美のパンチの連打に捕まってしまった。
意識が朦朧としてくる。この状況の中、麻里子の頭の中であるシーンが蘇ってきた。
それはまだ、麻里子が小学生六年生の時のことだった。自分の部屋で筋トレを黙々とこなしている司に麻里子は聞いた。
「お兄ちゃん、ボクシングって相手の人と殴り合うんでしょ。やってて怖くないの?」
司はダンベルを持ち上げながら答えた。
「そりゃ、ボクシングって怖いスポーツだなって思うときもあるよ。でも、試合中はそんなこと感じたことはないな。誰にも負けたくないって気持ちでリングに上がるからだろうな。負けず嫌いっていうのは立派な才能の一つだと俺は思うよ。麻里子はおとなしいからわからないかもな」
充分分かっていた。私も負けず嫌いだったから。
そう・・亜美には負けたくないんだ。─────いや、誰にだって負けたくない!
麻里子が攻撃に出た。麻里子が放ったパンチは亜美のボディにヒットした。不意を付かれたのか亜美が顔を一瞬しかめた。
亜美は顔を元の涼しげな表情に戻し、麻里子の顔面にパンチを浴びせた。すぐに麻里子も亜美のボディにパンチを当て、反撃した。
二人の打ち合いが始まった。亜美は麻里子の顔面にパンチを、麻里子は亜美のボディにパンチを当て続けた。亜美のパンチで酷く腫れていた麻里子の顔はさらに醜く腫れあがっていった。だが、亜美のお腹も赤く変色してきていた。
亜美のパンチが麻里子の顔面にヒットし、麻里子の頭は大きく吹き飛んだ。それでも麻里子は亜美のボディにパンチを返した。こわばっていた亜美の表情がさらに険しくなった。
「いいかげんにして!」
そう言って亜美は右フックを放った。そのパンチを麻里子はダッキングでかわした。そして、膝のバネに上手く上体を乗せて麻里子はアッパーカットを放っていった。
グワシャァッ!!
麻里子の放ったアッパーカットは亜美の顎を捕らえ、亜美の体を後ろへ大きく吹き飛ばした。白いマウスピースが宙に飛んでいた。亜美の体はマウスピースとともにキャンバスに落ちる。
亜美はすぐに立ち上がってきた。だが、膝はがくがくと笑っていて、ダメージが大きいことは誰の目から見ても明らかだった。
麻里子が亜美に駆け足で向かって行った。そして、右ストレートを亜美の顔面にめり込ませた。
ズドォォッ!!
亜美の頭が後ろへ弾かれた。
ズドォォッ!!
今度は亜美の右ストレートだった。麻里子の頭が後ろに弾かれた。お互いが負けじとパンチを放っていく。両者のパンチが交互にお互いの顔面にめり込む。互角の打ち合いだった。
カーン
ゴングが鳴り、レフェリーが二人の間に割って入った。
麻里子が青コーナーに戻った。
「すごいじゃない麻里子、亜美からダウン奪うなんて!亜美がダウンしたことなんて今まで一度もなかったよ」
麻里子の息は荒く乱れていて辛い表情を見せていた。しかし、麻里子は辛い表情の上に笑顔を浮かべている。
「うん、アッパーがまともに入ったからかなり利いていると思う」
「次のRだね」
「うん」
麻里子は首を縦に振って頷いた。


「亜美、大丈夫なの?」
セコンドの雅美が聞いてきた。
「ちょっと油断しただけ。もう麻里子のパンチは食らわないわ」
亜美は冷静な表情を崩さない。
「弓長コーチも見てるんだから頑張りなよ」
「それは関係ないよ」
亜美の口調が少し強まった。
嘘だった。ホントは弓長コーチの前で良いところを見せたい気持ちで一杯だった。弓長コーチが教えてくれたボクシングの技術を駆使して麻里子を倒したい。それが本音。
亜美は自分が麻里子に嫉妬しているのだということは分かっていた。でも、麻里子は家に帰ってからも特別にボクシングの指導を受けているのかと思うとつい許せないと思ってしまう。しかもそれで麻里子はあの程度の実力なのだ。どうしても麻里子と戦うときはいつも以上に力が入る。
麻里子のことをまた意識し始め、亜美の気持ちが苛立ってきた。
雅美が亜美の顔から流れ落ちている鼻血をタオルで拭く。雅美が拭き終わると亜美はまた口を開いた。
「もう許さないから」
亜美は静かにそして目をぎらつかせながら言った。
ゴングが鳴った。亜美は椅子から立ちあがり、麻里子の元へダッシュして向かって行った。今のインターバルで下半身のダメージは大分抜けていた。スピードはまあまあだった。麻里子もダッシュしてこちらに向かってきていた。
麻里子が放ってきた右ストレートを左腕でブロックしてさばき、亜美は右ストレートを麻里子の顔面に入れた。
ドゴォォッ!!
麻里子の顔面に右拳がめり込み、麻里子の頭は鼻血を吹きながら、後ろへと吹き飛んでいった。麻里子の頭はとても軽く感じられた。それほど勢いよく後ろへ吹き飛んでいった。麻里子の顔が目の前に戻ってきたところにさらに亜美は麻里子の顔面にパンチをぶち込んだ。今度は鼻血とともに口から唾液が吹き出た。そして、麻里子の頭がまたも後ろへ吹き飛んでいく。亜美はここぞとばかりに麻里子の顔面にパンチを放っていった。
やっぱり麻里子は私の敵なんかじゃない。これがあたしと麻里子の間にある本当の実力差なんだ。
とどめを刺すべく放った一撃が麻里子の顔面に食い込み、グキャァァッ!!という音とともに麻里子の体は大きく後ろへ吹き飛んでいった。麻里子の顔から吹き出た大量の鼻血と唾液がリングに撒き散っていた。
決まった!これで麻里子も終わりだわ!
麻里子の体はロープまで飛ばされていった。背中がロープに当たり、麻里子はこっちに戻ってきた。
え!?
麻里子はロープの反動を利用して、亜美に近づきパンチを放っていた。
グワシャァッ!!
ロープの力が十分に乗った麻里子の強烈な右ストレートが亜美の顔面にめり込んだ。
ズシャァァッ!!
亜美の体がキャンバスに沈み、1メートルほどキャンバスを滑っていった。亜美は仰向けで両腕を横に広げ、大の字のポーズで倒れている。そして、そのまま体は身動き一つしなかった。




「・・・・」
何かが耳に届いてきた。何だろう?
「ツー、スリー」
カウントだ。立たなきゃ。
亜美は体に力を入れた。だが、体が別人のように重かった。駄目だ、立つことなんてできない。
あたしはこのまま負けるの?
敗北の二文字が頭をよぎる。考えもしなかったことだった。イヤだ!そんなのって・・
横を向いていた亜美の目にある人物の姿が映った。
司だった。司コーチがこっちをじっと見てる。そうだ、司コーチがこの試合を見てるんだ。司コーチの前で不様な姿なんて見せられない。
亜美が再び体に力を入れた。限界を超えて力を振り絞る。カウントは9だった。そこで亜美は立ちあがることが出来た。
だが、立っているだけで精一杯の状況だった。試合はすでに再開されていた。麻里子が目の前前まで近づいてきていた。
グワシャッ!!
麻里子の右ストレートが亜美の頭を吹き飛ばした。
グワシャッ!!グワシャッ!!
麻里子が亜美の体をめった打ちする。無力だった。亜美はなす術もなくサンドバッグとなって麻里子のパンチを浴びせられ続けた。
意識が段々と薄れていく。なんだか気持ちが良い・・
グボォォッ!!
ボディへのパンチだった。麻里子のパンチが亜美のお腹にめり込んでいた。それで、また体の痛みが戻ってきた。いや、痛みよりも苦しみが遥かに勝っていた。息が出来ない。
「ぶ・・ぶうぇぇっ」
亜美の口から透明なものが絡まるようにしてゆっくりと姿を現し、下に落ちていったのは白いマウスピースだった。
亜美が思わず両腕を腹にもっていっていた。亜美の顔面は当然がら空きになっていた。
しまった!
カーン
ゴングが鳴った。麻里子はアッパーカットに入るところで体を止めていた。亜美は青ざめた表情をして、足を引きずるようにして赤コーナーへ戻った。
「亜美・・・」
雅美の声は前のRに比べ、動揺していた。亜美も前のRのように喋る口を開く余裕はもうなかった。コーナーに体をもたれかけ、体力の回復に努めた。
「負けるわけにはいかない」
亜美が呟いた。力の無い声だったが、まだ勝負を捨ててない者の言葉だった。


「もう勝利は目前だね」
京香はしゃいでいた。麻里子の顔も喜びで無意識のうちにほころんでいた。
「うん、次で決めてくる」
ゴングが鳴り、麻里子は立ちあがった。こんなにも嬉しい気分でゴングの音を聞くのは初めてだと麻里子は思いながら、コーナーを出ていった。
麻里子はコーナーを背にしたまま突っ立っている亜美の元に全速力で向かって行った。
麻里子は左右のストレートを放った。
ズドォォ!!ズドォォ!!
予想以上に容易くパンチが亜美の顔面にヒットした。
よぉし!このまま一気にいくぞぉ!
麻里子は連続してパンチを放っていった。余力を全てこのラッシュに次ぎこむ気だった。次のRのことなんて考えていなかった。ここが勝負の決め所だと麻里子は感じていた。
ズドォォッ!!ズドォォッ!!
麻里子のパンチが亜美の顔面に次々とめり込んでいく。
グワシャッ!!
麻里子の右ストレートが亜美の頭を吹き飛ばした。亜美の頭がコーナーにぶつかった。亜美の両腕が下がった。
麻里子がさらに右ストレートを放っていった。
だが、次の瞬間、麻里子のパンチはかわされ、そして、麻里子の目が大きく見開かれた。麻里子のお腹には亜美の右拳がめり込んでいた。
麻里子の表情が固まり、上唇が一気に盛り上がった。麻里子の口の中から白いものが顔を見せる。マウスピースだ。白いマウスピースが唾液に絡まれて麻里子の口から出てきた。
「ぶ・・ぶはぁぁっ」
麻里子の口から唾液がどばっと吐き出された。
麻里子の唾液が亜美の顔にまともにかかった。そして、麻里子が吐き出したマウスピースが亜美の顔面に当たった。亜美の顔にべちょっとついた麻里子のマウスピースは亜美の頬に一本の透明なラインを作りながら、下に落ちていった。
亜美は口元に笑みを浮かべていた。顔に麻里子の唾液がぶちまかれたことで表情がしかめてはいない。
麻里子の体はくの字に折れ曲がっていた。下がった麻里子の顎に襲いかかってきたパンチは亜美の右アッパーカットだった。
グボォォッ!!
麻里子の体が見事なまでに宙に浮いていた。麻里子の口の中にはもう吐き出されるマウスピースが含まれていないはずだった。だが、麻里子の口から吐き出された大量の血にまみれて白い欠片が宙に浮いていた。それは麻里子の奥歯だった。
麻里子の体がキャンバスに落ちた。背中を強く打った麻里子はその衝撃で体がひきつけを起こした。